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山形県の民話

雷神社の昔話
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 その年は春から天候が不順であったそうだ。文化五年というから百八十七年前の事である。旧六月も半ば過ぎた頃の昼下がり鷹戸屋山に雷雲が立ったと思う間もなく、見る見るうちにこれがひろがって夕闇迫り、雷光一閃物凄い雷鳴と共に風の音ともつかぬ、ゴーッと言う地鳴りが近づき、天地動転するが如き土砂降りになったけど。人々余りの恐ろしさに雨戸を締め切って囲炉裏の四角に線香を立てて「南無三宝荒神助け給え」と手を合せ一心に拝んだ。そして蚊帳にもぐってしまったけど。やがて雨も風も止み、人々はおそるおそる雨戸を開けて見て驚いた。何と卵大の雹が一面に積っていたごんだけど。よくよく見たれば総ての作物は青畳敷いたように打ちのめされ全滅になったそうだ。白鷹山の山添えに通り魔のように荒れ狂った雷であったと伝えられている。かくの如くしてこの年は稲作も大被害を受け大凶作の年であったけど。ただ不思議なことに畔藤の雷神社周辺の田だけは、その被害を受けず安穏無事であった。これはいかづち(雷)様のお加護であるとして近郷に話が広まり、雷神社付近の稲種が各方面から引っ張りだこだったということだ。そこで貝生の工藤藤吉(工藤六兵衛)祖父が雷神社から稲種を貰って栽培したと言う話で、今の大里神社裏愛宕山公園地内にある海老名部隊長顕彰碑(昭和五十七年十月建立)付近に、石の祠に雷神社を祀ったと言い伝えられている。また大正七年は田植え時から日照が続き、各地で雨乞いが行われた畔藤でもついに七月のある夜、雨乞いの獅子舞をしたところが獅子が大暴れに暴れた。その真夜中、雷鳴とともに電光一閃、ポツリポツリと大地をたたき出した雨は、大雨となって田畑を潤したという。

白鷹町老人クラブ連合会様 「白鷹のとんとむかしとうびんと」より
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